|
理事長: 杉山惠一
「里山・里地」の名で呼ばれるその環境は、農林業の営みを通じて極めて人為的に維持されてきた、いわゆる2次的自然であるにもかかわらず、そこに存在する野生生物の多様性に関しては、原生自然にも劣らないものがありました。それらは、人間の営為と共存してきたものなので、農村環境の崩壊によって生存の基盤を失うこととなり、農村における生物多様性の大幅な減少を招くことになりました。
こうした事態を憂慮し、89年に10人の有志によって結成されたのが、当協会の前身「自然環境復元研究会」です。この組織によって提唱された「自然環境復元」という概念は、それまでの「自然保護」概念を発展継承するものとして広く歓迎され、わが国の環境関連事業、環境行政に新たなエポックを招来させることとなりました。
本協会の20年間の歩みをやや単純に総括すると、前半約10年間は、前時代の自然保護運動の発展形態としての自然復元をめざしての運動でした。その背景には当時にわかにかまびすしくなった「地球環境の危機」という認識があったのですが、組織として担当する範囲としては、今日でいう「生物多様性」の復活・維持であり、具体的な行為としてはいわゆる「ビオトープづくり」がその主たるものでした。その理論的な骨格は生態学と生物学で、それらの学問的姿勢としての相対的認識は、人間存在(ヒューマンサバイバル)という当為・願望性によって次第に失われていきます。
この期間、各地の市民団体からの要請によって行われたシンポジウム(全40回)の真の目的が、人間の生活環境の改善であったこともその大きな要因です。要するに人々はそのことのために学問的権威を利用したのです。NPO法人化以後の約10年の動向は発展的であると同時に混沌としたものになりました。
その一つは純理学としての生態学に替わって、当初からヒューマンサバイバルを意図した環境と人間にかかわる応用学が成立したことで、我々の自然環境復元協会もその受け皿としての役割を果たしました。一方、自然再生の事業は一般化することによって明確な輪郭を失い、あらゆる事業に再生や共存の要素が含まれると同時に、前期におけるビオトープづくりに見られたような論理性が失われました。そして、新たな方向性として、さらに強い当為性を持った、「人間にとって自然とは何か」ということへの問いかけがなされるようになりました。本協会の内部で、「内なる自然」をテーマとした議論がなされたこともその一つの表れと見てよいでしょう。
「内なる自然」とは、我々が生物の長い歴史の過程で、自然との対話によって獲得した遺伝子の総体を想定した定義です。そのような「内なる自然」が、環境の人工化によって自然の諸要素との対話の条件を失ったことによって、現今の様々な人間個人および人間社会の不幸を生じた、というのがその理論の骨子となります。
今後、議論は多方面にわたって続けられるでしょうが、こうした議論を通じて、我々の協会の内にゆるぎない哲学が生まれることを期待したいです。そしてそれによって、いまや崩壊しつつある現文明に変わる、次期文明のあり方を提示していくことこそ我々の義務ではないでしょうか。
|